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学外サイエンス学習で『斑鳩フィールドワーク』を実施しました

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 11月20日(火)、京都大学の吉川真司教授にお越しいただき、「古代斑鳩を歩く」をテーマに高Ⅰ生徒32名がフィールドワークを行いました。本校は矢田丘陵に位置し、斑鳩にも近く、歴史的にも非常に恵まれた環境を有しています。その地の利を活かして、実際に現地を訪れながら歴史を科学的に分析することの重要性を生徒に理解してもらうことを目的としています。出発前に吉川教授からルート説明と現地での見どころについて解説していただきました。今回のフィールドワークでは、7世紀初頭(聖徳太子の生きた時代)、7世紀後半(法隆寺が再建された時代)、8世紀以後の三つの時代の痕跡を「道の傾き」をキーワードに訪ね歩きました。
 まず初めに訪ねたのは法隆寺です。法隆寺周辺はかつて聖徳太子一族が住んだ地域です。到着後、南大門から壁沿いに西に進み、南西の角を北向きに西大門へ向かう道を歩きました。この道は、聖徳太子の死後、聖徳太子の一族が滅亡してしまった後につくられた道で、真北に対し8度西に傾いています。7世紀後半の法隆寺再建はこの道を残す形で建立されたことが分かります。西大門をくぐり、東大門へ向かう途中、吉川教授から西院伽藍、宿坊、大宝蔵殿の解説をしていただきました。大宝蔵殿の造りは、校倉造りこそ施されていませんが、正倉院と同じであるとのご説明でした。東大門をくぐり東院伽藍周辺と斑鳩宮跡を見学して法隆寺をあとにしました。東大門前から北へ延びる道もまた、真北に対し8度西に傾いていました。
 次の目的地は仏塚古墳ですが、その途中にある貯水池の土手から飛鳥の方角をのぞむことができました。遠くに見える耳成山と畝傍山の間に藤原京があるはずです。聖徳太子が往き来した太子道は、真北に対し20度の傾きを持つ道で、斑鳩と飛鳥を最短で結んでいました。今でも当時の道の痕跡が所々に残っています。仏塚古墳では懐中電灯を頼りに石室内を見学しました。古代石室の築造技術を肌で感じることができました。この古墳は聖徳太子以前に斑鳩にいた有力豪族の墓と考えられています。
 次に訪れた法輪寺では、境内および十一面観音をはじめとする仏像が安置された講堂を見学しました。国宝であった三重塔は昭和19年に落雷で消失してしまい、現在の塔は昭和50年に再建されたものです。法輪寺をあとに、三井の古代井戸を経由して最終目的地の法起寺に向かいました。三井の井戸は「塼」と呼ばれるレンガのような焼き物を積んだ珍しい構造をしており、古代技術の高さがうかがえます。
 法起寺では、法起寺式の伽藍配置を見学し、古代瓦の講義もしていただきました。亙に興味を持った生徒達は、境内に落ちている瓦の破片を熱心に探していました。そして見つけるとすぐに吉川教授に鑑定をしてもらい、時間を忘れて楽しんでいる様子でした。最後に法起寺周辺の条里制のあとを歩きました。1町=109mで画される古代の条里が非常に美しく残っていて、しかもきれいに南北に沿った形をしています。古代においてはその条里1区画を5人分の土地として支給されたことを、座学ではなく、実際に歩いて体感することができました。実際見て感じると改めてその土地の広さを実感できたようです。